ど素人、黄表紙をよむ

独学で黄表紙を読み、悪戦苦闘の成果をさらす。恥知らずの野暮天ですみません。

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方言競茶番種本①

『方言競茶番種本(むだくらべ ちゃばんのたねほん)
 ―左右ハ虎の皮の褌 此方にも荒神様―』


発行:文化12(1815)年 初春
作:十返舎一九
画:歌川国直
板元:鶴屋金助
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_01927/index.html

この本は庶民むけの滑稽本で、アホな設定に下ネタ満載となっております^^
本文は人形浄瑠璃の底本(台本)のような態で書かれていて、
七五調を多用した語感がとても気持ちよいです。
この語感(リズム)をくずしたくなかったので、現代語訳は最低限にとどめました。

また、登場人物のせりふ部分には便宜上、
名前とカギかっこを付けましたが、
原文ではカギかっこも名前も入っていません。
(浄瑠璃なら、声色や人形の動きで表現するでしょうからね)
なので、せりふの名前部分を飛ばして読むと、
原文に近いリズムがお楽しみいただけるかと思います。

オチが鮮やかでカッコいいですよー^^

ここをクリックで、全頁まとめて読めます。
※本文中のアンダーラインは脚注です。脚注はページ下部に薄青色で書いてあります。
※画像はクリックすると大きくなります。




序文

(序文)

こっけい義太夫の竹本男徳斎(たけのもとなんとくさい)による
国性爺(こくせんや)の宿替えも、    
(ども)の又平による大津絵のちゃり場も、   
世に演じられること、しきりである。

今、先人(近松門左衛門)のまねをして、
私がこの書を著すことは、しかしまったく拠り所がない訳でもない。
私は以前に浪速へ上った際に、
故・近松東南の妻女から、浄瑠璃の仕事を一本受け得たこともある。
これを書くために調べて、
浄瑠璃のちゃり場をおおむね抜き書きしたのである。

その中から思いついて、
この道に通じた好士が節付けをされれば、
月待日待の宴の一興となって、
茶飯腹を消(こな)していただくことはできないかと、
例の『方言競 茶番種本(むだくらべ ちゃばんのたねほん)』と 
題したのである。

文化 亥初春
東都 十返舎一九志



武本男徳斎:初代。江戸中~後期に活躍した浄瑠璃太夫。

国性爺:浄瑠璃や歌舞伎の演目『国性爺合戦』。

吃の又平:浄瑠璃『傾城反魂香』に出てくる絵師。
      吃音のために出世できず、大津絵(お土産物のイラスト)を
      描いて暮らしている。
      ちなみに『国性爺~』も『傾城~』も近松門左衛門の作。

ちゃり場:芝居の笑い要素の多い場面。

近松東南:大坂の近松門左衛門の門下の、浄瑠璃作者。
      十返舎一九は武士として大阪に赴任していた時代に、
      東南の世話になって作家修行をしたらしい。

月待日待:月見や日の出を待つ酒宴。
      最初は信仰由来の行事だったが、
      江戸後期頃には宴会目的の行事になっていったらしい。

茶飯:番茶で炊いたごはん。月待日待で供される。

茶番:素人が演じる即興芝居

種本:ネタ本

人間一生胸算用⑱

人間一生胸算用18

こうして、無名屋無二郎はいよいよ大極上上吉の人間となり、
ホッとため息をつく拍子に京伝を吐きだすと、
京伝は出るより早く筆を押し取り、
右の始終を三冊の草紙につづった。

京伝は吐き出されてみたところが、
無二郎の風俗が以前と変わり、半通のなりかたちになったので
いよいよ心機一転したのだと分かった。

(口から後光がさすと、言いっこなし)

人間一生胸算用18 無二郎アップ

  無二郎 「オヤ、おめえは俺が腹の中にいたか。
       これはこれは、知らなんだ。
       おめえは腹の中にいて知るめえが、
       俺も大かぶりに被っての、このごろ目が覚めたよ」

人間一生胸算用18 京伝アップ

  京伝 「コレ無二郎。
      きさま“めでめで”と言わっし、
      俺が“たしたし”と言うから。
      “めでたし、めでたし”と言わねえと
      草双紙のしまいは気にかかる」

(おしまい)



大極上上吉:当時流行っていたランキングのトップの格付け

三冊の草紙:この本の現物は、上・中・下巻の三冊セット。

半通:イケてない人。「通」の半分で半通。

大かぶり:大失敗、大借金。


人間一生胸算用⑰

人間一生胸算用17右 善たましい

京伝は無次郎の体の中、三百六十の骨を尋ねたところで、
頭のてっぺん、ひよめきの辺りに、
心がまごまごしているのを見つけ、
元の胸のところへ連れ帰ろうとしたところ、 
またここに、先だっての善たましいが現われて言う。

  善たま 「こういう事になるだろうと思ったので、
       京伝を体の中へ入れおいたのだ。
       それ、孟子も“生は善なり”といって、
       天から生まれついた心はみな善き心だ。
       けれども、それぞれの心の緩みから気というものが動き出し、
       目・口・耳・鼻が心の下知を受けず、このように国が乱れる。
       これは、心が緩む故のことなのだ。
       この品を持って、みなみなの心を正しく直しなさい」

善たまはこう言って、あの三つの物を授けなさった。

人間一生胸算用17右 心とミニ京伝

京伝はここで一番、
知ったかぶりにチンプンカンを言いたい事は山ほどあるが、
放っておこうと思って、かいつまんで言った。

  京伝 「ハイハイ、かしこまりのトロロ汁さ」

人間一生胸算用17左

さて 京伝は心を堂々と元の胸のところへ立ち返らせると、
心はあの授かった三色の中を開き、
清心の医書を耳に読んできかせ、
次に地獄の絵図を目にみせ、
また、太神宮の清く潔き洗い米を口にのませ、
さらに神器五条の縄をもって足手をしばった。

すると、気も自ずから本性に返り、
みなみな始めのごとく心を尊み、
心もまたおのれを慎み、みなみなもよく心の下知を守れば、
無二郎の体の戦は、たちまち収まった。

  心「これみんな、言いてえ洒落もあろうが、もう言わず、しやんなよ。
    版元が来て、だいぶ書き入れが多くて読みにくかろうと言ったぜ」



ひよめき:頭頂部の近くにある頭蓋骨の継ぎ目。
       黄泉の国への入り口という意味もある。

三色:単に「三種類のもの」という意味と、仏教用語の「三色」の意味がある。
    仏教の「三色」とは、煩悩によって汚れている人間の様々な要素のうちの
    「色」として分類される五根・五境・無表色の三要素。
      ・五根=眼・耳・鼻・舌・身
      ・五境=色・声・香・味・触
      ・無表色=表象的には表れないもの
     (京伝は結構な知識人なので、こういうの調べるのが疲れる…^^;)

清心の医書:心の熱を冷ます医書。
         「清心○○」という漢方薬の処方が江戸時代から行なわれていることから、
         蘭学ではなく漢方学の医書であろう。
        
太神宮の洗い米:神仏にお供えした洗い米は、清浄で霊験があると考えられていた。

人間一生胸算用⑯

人間一生胸算用16右

かくて、おばの所で借りた金も、
足と手がガラリと使い切ってしまったけれども、
憎いといって足手を切っても捨てられず、
今はなすすべもなく、いろいろ思案していた。

ところがそこに、
このごろ近所で富くじをとった者がある事を耳が聞き出し、
その金を受け取るところを目が見て帰ると、
気はグッと悪くなり、手に言いつけて、
ある夜、密かにその金を盗みにやった。

しかし、盗み損なって見つけられたため外聞が悪く、
無次郎の体、いまは町内にいられず、
てんでんに諸道具をもち、足めの向くのに任せて、
夜逃げしているとは酷いことだ。

人間一生胸算用16 目口鼻アップ

  目 「詰まらぬものだ、みんなのザマをみたか。
    いい目の寄るところへザマが寄るとは、この事か」

  口 「おらァ、いつそ元手を工面して、
     ちっと汚ねぇが小間物見世でも出すべい」

  鼻 「ナニサ、ビクビクさっしゃんな。
     後ろにゃァ、この鼻が控えている
 
人間一生胸算用16 耳手アップ

  耳 「これ、静かに話しやれ。壁にも俺という事がある」
 
  手 「おらァいっそ、てんぼう正宗が処へ手間仕事にでも入ろう」

人間一生胸算用16 足アップ

  足 「今夜はとんだ寒い晩だ、足袋(たび)を被って来ればよかった。
     俺もこれから、かかとで巾着でも切らねばならぬ」
 
人間一生胸算用16左

かの京伝は、右の始終をとくと見ていたが、
思いがけなくも暫くこの体を住みかにして、
殊に友達の無二郎の体の事であれば、
いかにも気の毒なことだと思う。

しかし意見をしたくても、
当人の体の中にいるのでそれもできず、
これは全く、心が心の居所にいぬゆえの事だと、
鉦太鼓をならして心の行方をたずねた。

   迷子の迷子の 無二郎が心やァイ
     チキチャンチキ チャントコトン

これはしまった。これでは壬生狂言の拍子になってしまう。

  京伝 「足のつま先から背中あたりまで二、三べん尋ねたが、見えねえ。
      無二郎かけて逃げるそうで、この国が豪気な地震だ。
      ここらはスジが多くて歩きにくい。サツマイモなら全くダメだ」



俺がひかえている:掛け取りや追っ手の襲来に鼻を利かせて備えている、という意味。
    
壁にも俺:諺「壁に耳あり、障子に目あり」とかけている。

てんぼう正宗:浄瑠璃《新薄雪物語》の登場人物・団九郎のこと。
        団九郎は伝説の刀工・正宗の出来の悪い息子で、
        父の正宗から手を切り落とされてしまう。
        手首から先がない手→手ん棒→「てんぼう正宗」と呼ばれるようになった。

巾着を切る:スリをする

人間一生胸算用⑮

人間一生胸算用15右

そうして皆々、おばをだまくらのごんごうにして、 
よほどの金子を借りて帰り、
吉原の借金を払ってまた遊ぼうと喜び、
その夜はみな休んだところ、
足はおばのところで久しく尻の下に敷かれていたので
大変くたびれて寝そびれていた。

足はあまりに辛く思い、
「みんながお楽しみの中で俺ひとり
 大人しくているのも大バカだ」と思案を極め、
ふと悪が兆して、その夜、密かにかの金を半分盗み出し、
江戸芸者におかみを引き連れ、通し籠で江ノ島、鎌倉と出かけ、
どうせ我が物ではないと思い、
多くの金をやたらみっちゃに奢ってしまう。

なるほど、足が贅沢するといってもせいぜい、トロい籠くらいのところなのだ。

  足 「籠に乗り詰めも大儀なものだ、ちっと歩いて休もう。
     手前ェたちはくだびれはせぬか。 
     その代わり、活きたカツオを食わせるぞ」

  芸者「だんな、もし。
     江ノ島はゑびすやになされまし」

人間一生胸算用15左

その後の半分の金は、その夜また手が盗み出し、
「足めは良い事をしおった、
 さて、我もチと楽しんで賭けてみよう」と、
気晴らしにと博打にかかり、おおいに負けこけてヤケを起こし、
大喧嘩をはじめて相手の頭を握りこぶしで打ち
傷をつけると大騒ぎとなった。

口を連れて来ないから手はただ、
だんまりで殴り合った。

 男 「これこれ、喉がつまらァ、離してくれ。
    真綿で首をしめるとは聞いたが、
    わりゃァ、裸で首をしめるな」

 博徒 「刀は武士の魂、出刃包丁は競い(きおい)の魂だ。
     覚悟しやァがれ!」



だまくらのごんごう:「騙くらかす」と「鎌倉の金剛」をかけている。
 
やたらみっちゃ:むちゃくちゃに

だんまりで:江戸の喧嘩は「ヤイヤイヤイ!」と啖呵を切ってはじまるのが常で、
       無言でいきなり殴りつける姿は異様である。

競い:ここでは任侠、勝負師のこと。


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野暮天のサチ

Author:野暮天のサチ
江戸のおもしろ文学『黄表紙』を読み始めて1年余り。
ど素人の独学なので試行錯誤中ですが、あまりにも面白いので、みんなにも「黄表紙読み」をお勧めしたいと思ってブログをはじめました。

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