ど素人、黄表紙をよむ

独学で黄表紙を読み、悪戦苦闘の成果をさらす。恥知らずの野暮天ですみません。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

桃太郎発端話説(ももたろうほったんばなし)④

04右

実方の一念はすずめの子となり、都の方へと向かったが、
巣離れしたばかりでは、たいして飛ぶこともできず、
里の子どもに捕らえられ難儀していた。

ちょうどその時、正直爺がここへ通りかかり、
実方の一念とも知らずにすずめの難儀をみかねて、
子どもらに値の銭をやり、頼んですずめを受け取り、我が家へ帰った。

 正直爺「子どもらをよく言いくるめて、すずめを助けてやりましょう。
     これこれ、子ども。
     このぜぜをやるから、そのすずめを俺にくれ。よい子じゃ」
   
 子供「ぶっちめろ!」
   「このすずめは、おいらが捕らえまえた。
    誰にもやることは、ならぬならぬ」


04左

正直爺はすずめをつれて帰ったが、
そもそも鳥屋なので、さっそく籠に入れ餌をあたえて、いたわった。
もともと、これは実方の一念のすずめであるから、
すずめは重ね重ねの情けを感じて、正直夫婦を慕ったので、
のちには籠をだして放し飼いになり、夫婦はことなく可愛がった。

すずめ「勧学院のすずめは蒙求(もうぎゅう)をさえずる」と申しますが、
    私はお前方にかんがくされるすずめでござれば、
    モウモウ、ギュウの音も出ませぬてや。
    ずずめの難儀をお救い下さったのだから、
    チウチウの御恩でございます」
  
正直爺「あんまり出歩いて、猫やイタチにとられまいぞ。
    がてんか、がてんか


  
【注】

「勧学院の雀は蒙求(もうぎゅう)をさえずる」
   日常的に接してる物事は自然に身に付く、という意味の諺。
   勧学院は藤原氏の学問所で、『蒙求』は勧学院で使ってる教科書。
   勧学院には、実方の化身である入内雀が死んで発見されたという伝説があり、
   これを供養をするための「雀塚」がある。
   (しかしこのお話の雀は京には帰らず、正直夫婦のもとにいついてしまったっぽい^^)

モウモウ、ギュウ:蒙求とかけている

チウチウ:雀の鳴き声を「忠々」とかけている

がてんか、がてんか:当時流行っていた心学(人の心の道を諭す教え)を、
            坊さんが子供に説いてきかせるときの口調のまねらしい。
スポンサーサイト

« 桃太郎発端話説(ももたろうほったんばなし)⑤|Top|桃太郎発端話説(ももたろうほったんばなし)③ »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kibyosi.blog.fc2.com/tb.php/5-1db12809

Top

HOME

野暮天のサチ

Author:野暮天のサチ
江戸のおもしろ文学『黄表紙』を読み始めて1年余り。
ど素人の独学なので試行錯誤中ですが、あまりにも面白いので、みんなにも「黄表紙読み」をお勧めしたいと思ってブログをはじめました。

この人とブロともになる

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。