ど素人、黄表紙をよむ

独学で黄表紙を読み、悪戦苦闘の成果をさらす。恥知らずの野暮天ですみません。

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桃太郎発端話説(ももたろうほったんばなし)①

『桃太郎発端話説』
1792(寛政4)年
作:山東京伝
画:勝川春朗(のちの葛飾北斎)
版元:蔦屋重三郎

ここをクリックすると、全頁まとめて読めます。
※本文中のアンダーラインは訳注です(脚注はページ下部に薄青色の字で書いてあります)。
※画像はクリックすると大きくなったりします。




正直夫婦の暮らし

昔々のことだとさ。

みちのくの片すみに、じじいとばばあとがあったとさ。
夫婦ともにうんと正直なもので、仮にも悪い心をもたず、
哀れみふかい者で、飼い鳥をあきなって生活していた。

けれど、命あるものを飼うのも大きな罪なので、
商売の道に外れていることを嘆きながら、
常に物事に情けをかけて暮らしていた。

たとえ話の節では、猿と犬は仲の悪いものだけれども、
正直夫婦の誠実さから飼われる者まで和順して、
狆(ちん)と猿はとりわけ仲良くし、
雉などはこの家にぴったりハマッていた。

どうしてお婆よ、
焼け野の雉(きぎす)、夜の鶴、
畑の里芋、むつのハラコ
を思わぬものはないというのに、
こちらはこの歳になって子どもがないというのは、
まったく心細いことではおぢゃらぬか。

 正直爺「おばばや、放し鳥ならば損をしても売ってやるが良いぞや」


けんどん婆ァ

その隣りに、ひとの洗濯などして生計をたてている、
やもめ暮らしの慳貪(けんどん)ばばあがあった。
隣りの正直なあくぬき夫婦に似ず、色黒く、骨太く、アクはたくさん、
欲で〆こむひぼかわのうんどん愚鈍な生まれで、
つねにワサビおろしの目にカドをたて、イヤミからみが得手もの。
おろし大根ふと印、唐辛子のふさふさしいお婆である。

 慳貪婆「今日は天骨(てんこち)もない、よい天気じゃ。
     とかく、てんやわやの灰汁でなくては貧乏世帯のアカは落ちぬ。
     真面目にやっては、間尺に合わぬてや」

全体像。声が届くようなお隣りんさん同士です。
↑全体像。声が届くようなお隣りさん同士です。




【注】

飼い鳥:カナリヤ、文鳥などの小鳥。

焼け野の雉子 夜の鶴:「鳥でさえ、子を思う親の情けは深い」という意味の慣用句。
                 「畑の里芋 むつのハラコ」はギャグ。

慳貪:けちで欲が深く、無愛想で冷たいこと(「つっけんどん」の語源)

あくぬき:灰汁抜きしたように色が白いことと、「悪ぬき」な人柄をかけている。

ひぼかわ:ひぼかわうどん。いまでも秩父方面で食べられている。
      江戸っ子至上主義の京伝が野暮な田舎者を馬鹿にしてる?^^;

ふと印:ふとい。

ふさふさしい:厚かましい。唐辛子の「房」とかけてる。

天骨も無い:とんでもない

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野暮天のサチ

Author:野暮天のサチ
江戸のおもしろ文学『黄表紙』を読み始めて1年余り。
ど素人の独学なので試行錯誤中ですが、あまりにも面白いので、みんなにも「黄表紙読み」をお勧めしたいと思ってブログをはじめました。

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