ど素人、黄表紙をよむ

独学で黄表紙を読み、悪戦苦闘の成果をさらす。恥知らずの野暮天ですみません。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

桃太郎発端話説(ももたろうほったんばなし)⑨

09右(小)

正直夫婦は軽いつづらをもらって帰り、
中を開いてみれば、多くの宝物が詰めてあった。

すずめの宝というだけに
竹のこの隠れ傘、笹の葉の隠れ蓑、竹屋町の布で張ってある打ち出の小槌、
そのほか、笹づる布の巻物など、世に稀なる品々を入れおいてあった。

これ、子ども衆のお目覚ましや、むかし話の戯むれごとながら、
陰徳あれば陽報ある」のたとえはよく知られている。

慳貪婆、このていを見てうらやましがる。
 
  慳貪婆「あいつらは、うまい事をしおつた
       なんとしても、こっちへ寄こさしてこませたいものだ。」
      「断りいうて、返さしゃれぬか」
      「小槌にぬかりはないものを、このような痛事をしてくれては
       まったく迷惑じゃ」
      「このように宝を持つとは、まったく"ふくら雀"ではのうて
       きつい"福者すずめ”ときた」

09左(小)

となりの慳貪婆は、欲深き心からうらやましく思い、
同じように、すずめの隠れ里へたずねて来て、
「つづらをもらいましょう」と言う。
こんどは、すずめもあまりご馳走をせず、
仲間のうぐいす餅で間に合わせる。

ウズラのちちつかいではなくて、 
ツヅラのご出会に見えたのじゃな。

  母雀「お茶あがりませ」

  慳貪婆「放下師の小刀ではないが、
       のみこみ山なら早うつづらをもらうて、帰りましょ。
       わしは達者だから、ずいぶん重いつづらが良いてや」

  舌切りすずめ「まったく厚かましいおばばじゃ」



【注】
すずめの宝というだけに~:本文中に出てくるお宝を、まとめて解説してみました。
                   こちらを参照されたし⇒プチ解説「吉祥文様と宝物

陰徳あれば陽報ある:諺。人知れず善行をする者には、目にみえて良い事が返ってくる。

福者すずめ:福者=幸せな人、福人。「ふくら雀」とかけている。

ウズラのちちつかい:調べたが意味不明。江戸時代の慣用句か?

放下師の小刀:のみこむ=合点する、という意味の地口。
        放下師は大道芸人の一種で、烏帽子をかぶり、
        小切子(こきりこ=竹の筒に小豆を入れた楽器)を打ち鳴らして
        滑稽な歌舞、曲芸やジャグリング、手品などを行った。
        代表的な出し物に小刀を飲み込む芸があったらしい。

のみこみ山:合点する。


スポンサーサイト

« 吉祥文様と宝物について|Top|桃太郎発端話説(ももたろうほったんばなし)⑧ »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kibyosi.blog.fc2.com/tb.php/10-7d1b465b

Top

HOME

野暮天のサチ

Author:野暮天のサチ
江戸のおもしろ文学『黄表紙』を読み始めて1年余り。
ど素人の独学なので試行錯誤中ですが、あまりにも面白いので、みんなにも「黄表紙読み」をお勧めしたいと思ってブログをはじめました。

この人とブロともになる

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。